こんにちは

ザ・電撃パンクゾンビーズ

呉屋です。
 
 
 
 
 
さて

「共感」すること。

これが今の時代、大切だと。

誰かと「感性」を「共有」すること。

  
「共感」は何も「会話や対面」しなくても、ある。

私、映画監督の紀里谷和明監督をですね。

こないだ「しくじり先生」に出てて。

好きになりました。

考え方とか行動とか。

「わかるー!」と

「私の感覚と同じだー!」と。

「共感」したんです。

まぁ、あくまで「私側だけの話」ですけど。

ええ。

「私はハリウッド監督と感覚が同じなんだぞ!」と言いたいわけじゃなく。(いや実際ちょっと嬉しかったけども)

例えばこれは「作品」や「商売」でも

起こりうるってこと。

対話だけじゃなくても。

「共感」はね。

「商売」でも起こりうる。

今日のブログタイトルなんですけど。

「共感の先にあるもの」。

その先に何があったかって

その先に「感動」がある。

「あぁ、自分だけじゃなかったんだ」

と。

なんか。

「わかってくれた」ではなく

「元々同じ感性の人がいたんだ!」って。

ブルーハーツの「街」わかりますかね?

いつか会えるよ  同じ気持ちで

爆発しそうな仲間ときっと会えるよ

って感じ。
「感動」したんです。わーって。

「感動」って何かって「感じて動く」ってこと。

いろんな企画、ヤル気になったんです。

単独でのグループコンサルとか。

動けたんですよ。集客ゼロでしたけど。

ええ。「やりたい」って。
 
「感動」出来たんです。
 
 
 
 
あ、そうそう。

「共感」ね。

大事なんだけど。

「動ける」んだけどさ。
 
 
 
 
だからって

「共感してくれたから」とか

「共感しなきゃいけないから」とか

「自分」を犠牲にしてまで合わせることは無いですよ。

その人はあなたに「共感」してないし

その人にあなたは「共感」してない。

証拠?

例えばそれ「感動」する?

「感じて」、「行動にうつせる」?

「感じてもらって」、「行動してもらえる」?

自分から。

誰にもなにも言われなくても。

「仲間はずれ怖い」とかネガティヴな感情じゃなくて。

もっと言えば

「その共感相手(私なら紀里谷監督)に嫌われてもいいから行動したいと思えるか」ってこと。

そう思えるのが「共感」だし「感動」。

だと思いますよ私は。

「共感」の先にあるもの。
 
「感動」。
 
「感動」から繰り出される「創造」。

世界が「クリエイティブ」になるね。

「創造的になる」。
 
 
 
 
 
 
あ、でもだからって

「発信しなくてもいい」。

ただ、「発信しない」って「自分で決める」ことを意識しないと、たぶん苦しくなる。
 
 
 
「発信しない」から苦しいんじゃ無いよ。

「自分で決める」をしてないから苦しいんだよ。

発信しようがしまいが。

どっちにしろ。

今や「発信」の代名詞の「SNS」。

これの弊害のひとつ。

SNS疲れ。

あれはたぶん「みんながやってるから」って続けてるとそうなる。

キッカケはそれでいいんだけど

「続けていく」には、どこかで

「自分で決める」ってのをしないといけない。

「私はSNSを続ける」って。

もしくは「私はSNSをしない」って。

それが出来れば楽になるよね。

「自分で決める」をすればさ、一瞬で「自由」よね。

どんなにしょーが無い状況でも。

「自分で決めた」と思えれば「自由」よね。

苦しくはなくなる。

決めるときは「こわい」けどね。

それを「乗り越える勇気」。

それを育むためには

「どうせ無理」を絶対に言わないこと。

自分にも、相手にも。

言葉一つで世界は絶対に変わってく。
 
 
 
 
 
 
 
タイトルの私なりの答えは

「クリエイティブな世界」。

そこではやはり「アーティスト」が超有利。

そこで生まれるたくさんの「感動」。

また、世界はクリエイティブになってくね。

楽しいね。

10年後とかの話ではないよ。

たぶん、今小学6年の子が中学卒業するまでくらいの間の話。

マーケティング・経営ランキングへ

スポンサーリンク