さて。
 
 
 

私は、沖縄の貧困について、こんな記事書いてます。
 
 
 

 
ここで改めて言っておこうと思います。
 
 
 
 
私は、ボンボンです。

お金で困ったことは、

たぶんありません。
 
 
 

両親は、元公務員と社長です。

 
 
 
浪人もさせてもらいました。
 
 
大学も行かせてもらいました。
 
 
社会人になってからも一年浪人させてもらってます。
 
 
 
 
「貧困」ではなかったです。
 
 
 
欲しいものは何でも買えたってわけじゃないですが
 
 
 
 
 
お金で困ったことはないし
 
苦しんだ経験もありません。
 
 
 
 
だからこそ
 
わかる事があります。
 
 

「安定」を「目的」にしては、いけない。

 
 
「とりあえず勉強しておいて損はない」と
 
 
塾も行かせてもらってたし
 
浪人もさせてもらったし
 
大学も行かせてもらった。
 
 
就活もした。
 
 
 
 
 
でもそれは
 
「不安から逃れるため」でした。
 
 
 
特別「嫌なこと」は無かったです。
 
 

 
「不安」はいつもありました。
 
 
 
「やらなくちゃいけないこと」は
 
「不安から逃れるため」でした。
 
 
 
 
「安定を目的にする」のは
 
「避難所に行けば、安全だ」と
似ています。
 
 
 
 
 
危機はこないかも知れない。
 
 
でも、それは
 
「危機を逃れるため」であって
 
「幸せになるため」に避難所に行くんじゃない。
 
 
 
 
 
「避難所」は、
危機が来た時にしのぐための場所。
 
 
 
「そこにいる事」を目的にしちゃうと 
おかしくなる。
 
 

住みたい場所に合った変化をすればいい

 
 
私が受けた教育では
 
私は結果として大学は「安定のため」に行っていたし
 
就活も「安定第一」でした。
 
 
 
 
 
例えば 
「行きたい場所」や「住みたい場所」を
思い描いた時 
 
 
 
 
「どの避難所がいいかな?」って
考えませんよね。
 
 
 
 
でも私は 
「どこが休みもあって給料良いかな」で 
選んでました。 
 
 
 
「仕事内容」ではなく
 
 
「危機が来ない場所はどこかな」って。
 
 
「避難所」を選んでました。
 
 
 
特別な不幸は感じなかったけど
「不安」は常にありました。
 
 
 
 
「危機が来たらどうしよう」って。
 
「安定が無くなったらどうしよう」って。
 
 
 
 
 

商工会を選んだのは「避難所」としてだった。

 
 
公務員を目指して勉強して 
 
「安定」を第一に選びました。
 
 
 
 
給料安定してて、休みもあるところ。
って基準を第一に選びました。
 
 
 
 
 
働きだしてからは
 
「経営の数字」や
 
「マーケティング」など
 
「おもしろい」と感じる所もあり
 
ただただ「安定」を求めたわけではなく
 
 
ちょっとずつ「チャレンジ」もしました。
 
 
少しは成長できたと思います。
 
 
 
その理由は、「安定を目的にすると超絶かっこわるくなる」と感じたからでした。
 
 

「安定」を目的にするとポンコツになる。

 
 
私は最初、「避難所」として選んでしまいましたが
 
 
そこではやりがいを持って、やっているカッコイイ先輩方が居ました。
 
 
 
その人たちは「避難所」としてではなく
 
「理想の住まい」や「目的地」として
 
 
商工会を選んだのです。
 
 
 
そして「やりがい」を持って、やっていました。
 
 
 
少なくとも私にはそう見えました。
 
 
 
 
 
 
「安定」が「目的」になってしまっている人もいました。
 
 
 
 
 
そんな方たちは「チャレンジ」をしません。
 
「新しい事」は拒みます。
 
 
「今のままでいい」と。
 
 
 
「やりがい」ではなく
 
「安定」が目的ですから。
 
 
 
 
「変わらない事」を望みます。
 
 
公的機関を志望する動機って
「安定」が多いように思います。
 
 
 
給料安定してなくて
 
休みも不定期だったら
 
今と倍率変わらないでしょうか?
 
 
激減すると思います。
 
 
 
 
「理想の住まい」や「目的地」としてくる人より
 
「避難所として」選んだ人の割合が多いように感じました。
 
 
 
「避難所」として選んだ人は
 
「余計なことして危険になったらどうするんだ」と
 
 
 
 
「変わらないこと」を望みます。
 
しかし 
時間は流れます。
 
 
 
その人たちが変わらなくても
 
 
環境は、変わります。
 
 
 
 
それに対応出来なくなって行きます。
 
 
「理想の住まい」や「目的地」としている人は
「台風が来るからコンクリートで補強しよう」とか
 
 
「雪が降るから三角屋根の方がいい」とか
 
 
色々チャレンジして
「適したカタチ」にしようとします。
 
 
 
周りにも貢献するように。
 
 
イルミネーションつけて楽しませようとか。
周りの役に立とうとします。
 
 
 

 
「余計なことしてる」と思われがちです。
 
 
 
「変わらない事を望む」が
大勢です。
 
 
 
だから
公的機関では
「神エクセル」なんてもんが出来上がります。

「神エクセル」とは、紙へ印刷することを前提に、セルの結合や罫線(けいせん)機能などをフルに使い、見栄えを優先して作ったExcelファイルのこと。「紙」が転じて「神」と表記するようになったネットスラングである。「ネ申エクセル」などと表現される場合もある。

 
 
計算ソフトであるエクセルを 
方眼紙としてしか使わないヤバいやつです。
 
 
民間企業では絶対にあり得ません。
 
 
こんなんやってたら潰れますから。
 
 
 
 
 
しかし悲しいかな公的機関。
 
潰れないんですよね。
 
 
 
死ねない。
 
役に立たないのに。
市場原理の外のもの。なので。
 
 
 
 
 
この神エクセルも
「安定を、望む」が 
目的になってしまったから起こったものだと思います。 
 
 
エクセルの勉強を、しなかった。
 
 
 
「余計なことはしない」から。
 
 
 
こうやってどんどん
「変わらないこと」で
ポンコツになっていきます。
 
 
でも潰れない。
 
 
 

「避難所」はやがて機能しなくなり、存在を維持する能力だけ高くなる。

 
 
環境に合わせて変わりません。
 
 
「安定」が目的地になってますから。
「変わらないこと」を重んじます。
 
 
 
「避難所の中の人」は
 
「ここから出なければ大丈夫」になり
 
「求められる機能」を果たせないようになるけど
公的機関だから、死ねない。
 
 
 
 
農協も、そういう風に見えます。
 
 
 
 
そして
 
そこで「やりがいを持ってやる人」に
 
「求められる機能」が求められ
 
過労になり 
 
 
潰れていく。
 
 
 
 
私が見てきたカッコイイ先輩たちは
 
漏れなく過労でした。
 
同期もそうです。
 
 
 
 
後輩もそうだと思います。
 
 
 

「安定」を目的にしてはいけない。「自分の幸せ」を考えよう

 
 
 
沖縄県内高校生へのアンケート、9割が
「安定した職業」を求めてました。
 
 
「安定」を「目的地」にしてました。
 
 
 
「貧困」がそうさせたのかもしれません。
 
 
 
純粋な親の愛が。
 
 
 
子どもたちを想う美しい心が。
 
 
 
「安定」を求めさせるのかもしれません。
 
 
 
 
 
私は、安定しました。
 
 
そして貧困でもないです。
 
 
 
だからこそ、わかる事があります。
 
 
 
 

貧困を解決するには「安定」ではなく「本当にやりたいこと」が必要。

 
 
安定しても
「不安」は常にありました。 
 
 
 
「とっても幸せだな」と思ったことはありません。
 
 
 
「まぁ、幸せなんだろうな。特別いやなことないし」って感じでした。
 
 
 
そしていつもどこか不安でした。
 
 
 
「危機来るかもしれない」って。
 
 
 
「変化をしないこの場所は大丈夫だろうか」って。
 
 
「変化をしようとすると過労になるこの場所は大丈夫だろうか」って。
 
 
 
 
 
 
 
私は「避難所にいる」ことより
 
 
「目的地に向かうこと」を選びました。
 
 
 
「遊園地」に行きたい。
 
 
 
 
大学にいって 
 
就活もして
 
 
 
でもそれは「不安から逃れるため」の道でした。
 
 
 
「避難所に向かう道」でした。
 
 
 
 
今はやりたい事やってます。
 
 
「目的地」に向かってます。
 
 
 
 
 
個人差はあると思います。
 
 
 
 
 
私は 
「避難所に向かう道」より 
「遊園地に向かう道」の道中の方が 
幸せを感じます。私は。 
 
 
 
貧困を解決する先に「安定」を用意しようとしないでください。
 
 
 
 
周りは純粋な愛からそうさせようとします。
 
 
ユーチューバーになろうとする子どもを
止めるでしょう。
 
 
 
 
でも、止めないで欲しい。
 
 
 
「やりたい事」が人を幸せにすると思うんです。 
私はそうでした。
 
 
 
「安定」は目的ではなく「手段」。
 
 
 
「何のために安定するの?」って問いに答えられるかどうか。
 
 
 
どの仕事をしても安定したとしたら何をする?
 
 
 
どの仕事についても不安定なら何をしたい?
 
 
 
 
 
それでも、公務員とか
 
銀行員とか
 
 
大企業とか
 
 
興味あるかな?
 
 
 
「安定」を目的にすると、ポンコツになるよ。
 
 
そしたらそんなやつ「要らない」ってなるよ。
 
 
 
産業、発展しますかね?
 
 
 
 

進路を選ぶときに考えて欲しい事

 
 
「どの職業選んでも、安定する」って前提と
 
 
「どの職業選んでも、失敗する。赤字になる」って前提で考えてみて。
 
 
 
それでもやりたい事は「目的地」だけど
 
 
「危機がないなら行かない場所」は
「避難所」だよ。 
 
 
 
そして「危機」は何処にでもある。
 
 
避難所にもある。超ある。
 
 
大事なのは 
「危機に会わない事」ではなくて
 
「会った時にどう対処するか」だよ。
 
 
 
 
「避難所に向かう道」と 
「遊園地に向かう道」。 
 
どっち歩きたい?
 
 
 
 
「安定」を目的にすると
 
「避難所」で一生を過ごす事が「目的」になっちゃうよ。
 
 
 
 

金に困らなかったボンボンだから言える事

 
 
金があったら解決する問題ではありません。
 
 
 
「金があったら幸せ」ではありませんでした。
 
 
 
「変わらないこと」や「安定」を求めると
 
「避難所にずっといたい」と同義語です。
 
 
 
遊園地に行く選択肢もあるのに。
 
 
 
 
幸せになるには
「何をやりたいか自分で知ってるかどうか」です。 
「何処に行きたいか知ってるかどうか」です。
 
 
 
私は、自身の経験から、そう思います。
 
 
 
「安定」を「目的地」にせず
私にとっての「避難所」を出て
 
「行きたい場所」に向かってる私は、今の方が、幸せです。
 
 
 
学校行けないのが問題じゃないです。
 
勉強できないのが問題じゃないです。
 
 
 
「行きたい場所」を探す事をしないで
 
「避難所に向かう方法」だけ教えられて
 
それしか選択肢ないと思ってるのが問題です。
 
 
「避難所」に行けなかったら人生終わりと思ってるのが問題です。
 
 
 
 
 
学校行けなくても
 
勉強できなくても
 
「行きたい場所」を知っていれば
 
 
本人は、幸せだと思うんです。
 
 
そこに向かう事が出来るので。
 
 
今の時代、色んな努力ができる。
 
クラウドファンディングとかね。
 
 
 
 
少なくとも私はそうです。
 
 
 
 
 
貧困を解決するのは大事だけれど
 
「避難所に連れてく」ではなく
 
「行きたい場所を自分で設定するチカラ」が必要です。
 
 
 
 
 
「安定」をみんなが求めると 
沖縄の産業、沈みますよ。
 
 
資源あるのに 
所得低いのが証明してるんじゃないかな。
 
 
変化をしないから。
 
 
 
愛を持って「安定してほしい」かもしれませんが
 
その純粋な愛が、子どもたちの未来を暗くしてると思うんです。

 
 
 
 
ボンボンはそう思います。
 
 
 
「何をやっても、失敗するなら何したい?」
「何をやっても、成功するなら何したい?」
 
 
 
 
「危機に会った」ら大切なのは
「変化に対応できるチカラ・対応しようとするチカラ」です。
 
 
 
「危機の無い人生」はないし
 
「安定を目的地にする」と
 
 
「変化に対応できるチカラ・対応しようとするチカラ」を殺します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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