僕が商工会で働いてる時

毎朝、普天間基地のゲート前を
通って通勤してました。

 

「沖縄県民と報道されてる方々」がいました。

普天間基地へと入っていく車両に
「出て行け」と書かれたボードを
車の窓に押し付けたり
叫んだり。

その車の中には子供もいます。

 

「戦争反対」といいながら
やってることは
「力ないモノも巻き込む無差別攻撃」でした。

 

戦争の最もしてはいけない要因の一つを
していました。

 

 

本当に平和を望むなら
あんな「力ないモノも巻き込む攻撃」なんてするかな。

あれは
「正当防衛」なのかな。

 

僕は
あの人たちと同じ
沖縄県民だと、思われたくない。と
思いました。

 

あの人たちの言う「平和」ってなんなんだろう
僕の認識してる「平和」とは違うかもしれない。

 

 

普天間基地のヘリが
沖縄国際大学に落ちた。

確かに危険です。

騒音もある。

健康被害もある。

住民の安全は確保されるべき。

 

 

 

だったら

 

 

それをなくすには
議論があるべきであって
あんな「攻撃」は

何一つ前に進まない。

 

危険を無くすには程遠い。

むしろ遠ざけてる。

 

 

 

 

米軍人・軍関係者が引き起こした事件
たくさんあります。

 

それは、米軍の指示ですか?

 

悪いのは、「犯人」です。

 

 

日本人が起こした事件の罪は
同じ日本人のみんなの背中にも
背負うべきですか?

 

普通に暮らしていた一家の家に
忍び込んで人を殺した犯人の罪

「市民」は背負うのかな?

「日本人だから」?

 

 

あの人たちは
なんのために「攻撃」してるんだろう。

 

 

解決するべき本当の問題は何?
その解決方法は、合ってる?

 

正解はないと思う。
なにかしら不合理や不条理が生じると思う。

100パーセント全員が納得する答えなんか
でないと思う。

 

それでも
なるべく全員が納得するように
物事の解決を図る方向を探したい。

 

それには
「対話」じゃないですかね。
必要なのは。

 

基本は。

 

 

「米軍だから」
「沖縄の人だから」
「本土の人だから」

グループでくくって見る時には
今一度、ちゃんと、考えた方がいい。

 

いきなり敵視するんではなく。

 

「対話」に必要なのは
「自分の幸せを把握しておく」ってこと。

それが対話の元になるから。

「自分の幸せ」について
自分は知っておきたい。

「対話」のためにも。

 

 

 

自己防衛の力も持ちつつね。

善悪の意志なく「他人への攻撃」が
標準装備の人もいるから。