例えば

「ある島」があってさ。

そこには二つの「一族」が住んでて。

 

「土地」を「半分ずつ」持っている。

 

「島」には

昔からの「オキテ」があって

「土地にあるものは、その土地の所有者のもの」と

決まっている。

 

だいたい

その島の「食料」は

各一族とも海から獲ってる。

 

 

でも

海から獲る以外にも食料はあって。

この「島」には

「ビタミンがたっぷりな果実がなる木」が

1本だけ生えている。

 

 

その「ビタミンの木」が生えてる「土地」を

所有してる「一族」を仮に

「ビタミン一族」と呼ぶとする。

持ってる「半分の土地」は

土でできた「土地」が多い。

 

 

「ビタミン果実のなる木」を持ってないほうを

仮に「ウミダケ一族」と呼ぶとする。

「ウミダケ一族」の「土地」には

石がたくさんゴロゴロしてるだけ。

 

 

 

「ビタミン一族」は

収穫した「果実」を

「同じ島に住む者同士だから」と

「ウミダケ一族」にも

きっちり二等分していた。

 

 

 

二つの「一族」は

仲良く暮らしてたんだけど

 

ある日

「ビタミン一族」と

「ウミダケ一族」の

若いもん同士がケンカして

 

 

それぞれの若いもんが

自分が怒られたくないから

それぞれの長に

「100パーセント相手が悪い」と

伝えた。

 

 

すると

どちらの長も

「戦争をすると、どちらも無事では済まない」と考え

身内から「攻撃しよう」との声はあったものの

戦争はしなかった。

 

しかし

影響はあって。

 

仲良く暮らしてたはずの

一族同士が

ギクシャクし始める。

 

 

 

戦争こそなかったものの

 

 

その年

 

「ビタミン一族」は

「天候不良で収穫が少なかった」という理由で

「ウミダケ一族」に

果実を十分には渡さなかった。

「ウミダケ一族」全員が

口にできる量の「果実」は

渡されなかった。

 

 

 

その次の年も

 

 

 

そのまた次の年も。

 

 

「ウミダケ一族」には

ビタミンが不足していった。

 

 

大切な栄養素の

「ビタミン」が取れないと

寿命が

明らかに違ってくる。

 

 

「ウミダケ一族」の人数は徐々に減っていった。

 

 

ある年

「ウミダケ一族」は

「このままでは一族が滅んでしまう。」と

「どうせ滅びるなら、可能性に賭けたい」と

 

 

敷地内にある「石」で

「武器」を大量に作って

「ビタミン一族」を脅した。

 

 

 

そして

 

「武器」を作れない「ビタミン一族」は

降伏した。

 

そして二つの一族の間には

「毎年、果実の収穫を二等分すること」

という「オキテ」が出来た。

 

 

それからはまた

 

「果実」は二等分されるようになり

「ウミダケ一族」も滅亡を免れて

「ビタミン一族」と共生した。

 

 

 

 

 

みたいな話があったとして。

 

 

「武器」ってさ。

必ずしも「争いの元」になるとは

限らないのかなって。

 

 

武器は「対等」を生み出す場合もある。

 

 

それは例えば

声の出ない人が

声の出る人と「対等になれるため」の

「LINE」と共通するところがあるのかなって。

 

「LINEを使う場」では

コミュニケーション能力は

お互い「フラット」(対等)になる。

 

 

「武器」が「対等の場」を生み出す

「補助」になる場合だってある。

 

 

 

 

語弊を恐れずにいうと

「戦争をなくそう」と

「基地をなくそう」は

同義じゃない。

 

 

「武器」がダメなのは

「武器」を使って

「虐げる」のがダメ。

 

 

ダメなところはあるんだけど

 

でもその

「ダメなところ」は

 

さっきの話の

「ビタミンの実を渡さない」ってのも

同じなんじゃないかなって。

 

 

「目に見える分かり易さ」はないけど。

 

相手の「生命の主導権」を

「対等になるため」じゃなく

握ってるっていうか。

 

 

「武器」の何がダメかって

 

「自分の命が

相手側のコントロール下にある状況」ってのが

ダメ。

 

さっきの島の話みたいに

「武器を持って、対等になれる」場合も

あるってこと。

 

 

「武器を持っての交渉」を推奨してるわけじゃない。

 

 

「ビタミンの実を渡さない」も

「武器で相手を脅す」って行為と

同じなんじゃない?ってこと。

 

 

 

 

 

 

こういう島の状況の時はさ

 

 

「ビタミンの実を食べてる間は

出現しない武器」を

「ウミダケ一族」側が持って

 

「持ち主が死んでしまうと消滅するビタミンの木」を

「ビタミン一族」が持つみたいのが必要だよね。

 

 

進化し続けるテクノロジーには

こういうもん作って欲しい。

 

 

 

はい。

 

 

そして

「基地をなくそう」は

「戦争をなくそう」と

同義じゃない。

と思う。

 

武器は「対等」を生み出す場合もある。

 

声の出ない人が

声の出る人と「対等の場」になれる

「LINEの場」と同じ。

 

「補助」になる場合だってある。

 

 

 

「戦争をなくそう」と

「基地をなくそう」は同義じゃない。

 

 

 

「事故をなくそう。

だから

自動車はいらない」

じゃない。

 

自動車には「求められてる機能」がある。

 

 

基地にだって、何かあるかもしれない。

 

 

「そんなものはない」?

 

 

じゃあ聞くけども

メリットについて、話し合う場すらないのはなぜ?

 

「基地のメリットはこういう事がある。」って

 

「基地はあったほうがいい」って

公で言えない空気なのはなぜ?

 

 

「公」をこういう「空気」にしたのは

「何」?

 

 

 

私はね

「公」の「空気」は

「情報」が作ってきたと思う。

 

 

「各個人個人が共有する意識」の大部分

 

 

つまり

 

「常識」は

新聞やテレビの「マスメディア」が

作ってきた。と思うよ。

 

沖縄だと

二大紙。

あとテレビ。

 

 

その情報で

「公」を「そんな空気」にしたのは

「なぜだろう」。

 

 

 

「なぜだろう」って

考えてる。

 

「基地がなくなる」のと

「戦争がなくなる」のは

同義語じゃないと思うから。

 

 

 

交通事故が起きても

「自動車を滅せよ」とはならない。

「自動車のメリット」を知っているから。

 

 

 

オスプレイが落ちたら

「基地があるからだ。」

 

 

 

はて。

 

 

「オスプレイのメリット」を

僕たちは十分に知っているだろうか。

 

 

 

 

 

知らないんだ。

 

 

 

「なぜだろう」

 

 

「なんでこんな空気にする必要があったんだろう」

 

 

って

「考えること」がとても大事なので

考えることにしてます。

 

 

 

私が思うにね

 

各個人の幸せを追求したらいいと思うよ。

もう。

 

 

「個人個人が好き勝手やれば
秩序が乱れる」って?

 

 

「秩序」ってなんだ。

 

「それぞれの幸せが最大限になる事」じゃないのか。

 

 

 

「迷惑かけないように何もしない」って
ことじゃないし

 

「悪いやつがいたら
そいつはめちゃめちゃにしていい」って
ことじゃない。

 

 

 

 

「自分」で「自分の幸せ」を

自覚していれば

 

「他の人の自信を奪うこと」はしないよ。

 

 

 

「自分」で「自分の幸せ」を

自覚してれば

惑わされない。

 

「自分」で「自分の幸せ」を

自覚していれば

「対等になろうとすること」はあっても

「虐げよう」とは思わない。

 

 

「それは、自分の幸せか」を

考えるから。

 

 

「虐げること」が「幸せ」のやつがいたら

そいつの「幸せ」から

なるだけ遠ざかる。

あらゆる手段を使って。

 

その手段の一つに

「そいつを滅する」があるかもしれない。

 

 

でもそんな時でも

大事なのは

「そいつを滅する」が「芯」ではなく

「あなたの幸せ」が「芯」だ。

 

 

「守るべき」は

 

「共通してるところ」ではなく
(「悪いやつがいたら協力して潰す」ではなく)

「それぞれの芯」だと思うんだよ。

「守るべき」は。

 

 

「大事なのは、闇を消すことではなく
光を見つけることなのだ」ってやつ。

 

 

そう思うんだよ。

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