どうも、ザ・電撃パンクゾンビーズ 呉屋です。
最近思うんですけど
「本質」というか「要するに」っていう文言のあとの言葉って
「わかりやすすぎ」て、「単純明快すぎ」て、「どシンプル」すぎて
抽象度が上がってしまい
「理解しにくくなってる」気が。
例えば
「儲けるにはどうしたらいいですか?」とか
「商売がうまくいくにはどうしたらいいですか?」
って質問の答えは
「価値を提供すればいい」です。←要約した本質の答え。超シンプル。単純明快。しかし抽象的。
言ってることがわからないわけじゃないけど
抽象的すぎて「理解しにくい」かも。
そのため
実例を使って
「具体例」を使って説明する。
でも「具現化」すると
抽象度が低くなるから
「柔軟さ」は無くなる。
だって「具体的」だから。
抽象度が低くなるから
「誰にでも当てはまる度数」は低くなる。
例えば
「価値を提供すること」(抽象度が高い)はすべての商売に当てはまるけど
「うまい飯を提供すること」(抽象度を落とした)は飲食以外には当てはまりにくくなる。
抽象度を落とす際に「要するに」をつけて「抽象度を上げる」と
当てはまるようになるんだけどね。
「うまい飯を提供すること。要するに価値を提供すること」
っていう感じで。
で、今、ネット環境のおかげで
みんなの意見交換のスピードが超上がってきてて
何か問題が起こった時に「要するにこの問題の本質は」って
すぐに「本質」がいろんな角度から抽出されてる。
いろんな具体的事例(抽象度低い)が
「要するに」をされて「抽象度を上げられている」。
例えば「某航空会社での車椅子対応」とかについて
ネットでは「この問題の本質は」ってのが
いろんな角度から話されてる。
運営側、車椅子利用者側、何の関係もない側。
いろんなとこから。
逆に
抽象度を落とす作業はあまりされてない。
でも
結構ニーズあるんじゃないかな。
「要した後の本質」は
情報に触れてる人の中にはもうどんどんストックされてるじゃないすか。
だから「抽象度を落としたこと」(「実際に起きたこと」とか「他人の日常」とか)に
興味が出るんじゃなかろうか。
「本質」とかはもうみんな持ってる。
持ってるとね
確かめたくなる。
覚えた魔法は使いたくなるでしょ。
で、その本質を当てはめる対象として
「ブログとかSNSでの他人の日常」ってニーズがあるのかなーと思います。
何気ない行動とかでも
本質(柔軟性が高い)って当てはめることできるし。
この
「本質を当てはめる作業」とか
「抽象度を上げる作業」って
勝手に本質を要して欲しくない具体的事例もある。
海老蔵さんのディズニー行った話とか
「ほっとけよ」の極み。
だからリングを設定してみるといいかもね。
「この事象の本質は」マンを集めて
「本質・要するに」バトル。
ちゃんと「要していい、要される前の具体的事例」を用意して。
盛り上がらないかもだけど。
「何気ない日常から勝手に本質抽出するのが醍醐味」だったりして。
それはそれで
「大事なのは抽出される本質そのもの」じゃなくて
「勝手に本質を抽出すること自体が楽しい人がいる」ってのがわかるから
一つのケースとして覚えておけばいいんじゃないでしょうか。
「あぁ、本質抽出マンか」と。
でも
「そこを本質とする!?」
みたいなところで本人の特性出るよね。
そこは見てて「おもしろい」よね。
この時代
「おもしろい」ってことは価値がある。
「このニュース、◯◯はどう見たのか」みたいな記事をついつい読んじゃう派。
あぁ、だから読んじゃうのか。
その人の「本質の抽出のやり方・プロセス」っておもしろいから。
だったら
「いろんな人の本質の抽出のやり方・プロセス」が見れるコンテンツって
作ったら価値あるかも。
私が「YOUはナニしに日本へ」的な番組好きなのもそういうの関係あるかも。
「何をしに来てるのか・何故それをやるのか」って
「本質の抽出のやり方・プロセス」が見れる気がするから。
・「本質の抽出のやり方・プロセス」は人それぞれで面白い。
・そのプロセスを見るには「要する前の具体的事象」が必要で
・その「要する前の具体的事象」って「意見が分かれやすそうなこと」が適してる
みたいな。
なんの話でしょうね。
ロックンロールが鳴ってるよ。
今日のオススメ本
「思いつき」を実行に移し続けるのが大変なんだなとわかる。