ボブディランは言いました。

 

 

 

「答えは風に吹かれている」と。

 

「風に吹かれている」と。

 

 

 

 

 

僕は違うと思う。

 

 

 

「答え」は

「風に吹かれて」いない。

 

 

 

 

もちろん

本にも書いてないし

ネットにも落ちてない。

 

コンビニにも

Amazonにも売ってない。

 

外国にもない。

偉い先生も知らない。

 

尊敬するあの人も

愛する人にもわからない。

 

「ここじゃないどこか」には無い。

「私じゃない誰か」には無い。

 

 

「風にも吹かれてない」。

 

 

 

「風に吹かれている」のは

「ディランの答え」だ。

 

 

 

 

 

 

喋っていて気づくことがある。

書いてみて気づくことがある。

やってみて気づくことがある。

 

 

「うまく喋ることができなかった」

「うまく書くことができなかった」

「うまくやれなかった」って

 

自分で気づくことがある。

 

 

 

うまく喋れなくても

うまく書けなくても

うまくやれなくても

 

うまく伝えることが出来なくても

 

「言いたいことはそれだけ?」と
何度言われても

 

本当はそれだけじゃなくても

 

「いったい何が言いたいんだ?」って
何度言われても

 

うまく言葉にできなくても

 

何度、ダメでも

何度、泣いても

何度、バカにされても

何度、「ダメだ」と言われても

 

 

「それ」は確かに存在する。

 

ただ、存在する。

 

うまく言葉にならなくても

存在する。

 

 

 

 

 

君の中に、存在する。

 

風の中ではなく

君の中に、存在する。

 

 

 

 

 

ギターは弾かなきゃ鳴らないし

ベースは弾かなきゃ響かない。

ドラムは叩かなきゃ震えない。

声は出さなきゃ聞こえない。

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文字は書かなきゃ見えないんだ。

 

 

「答えは風に吹かれて」ない。

 

 

 

 

「答えは君の中に存在する」。

 

「君の中の答え」は

いつだって存在する。

 

 

そして

いつだって叫んでる。

 

 

でも

 

その声を

君が「認識できるカタチ」にしないと

聞こえない。

 

 

君が出してあげないと

「君の答え」は

君にすら聞こえない。

 

 

君にすら聞こえない。

「君の中の答え」は、叫んでるのに。

 

 

 

「瞳を閉じれば聞こえてくる

拳握った少年の声」は

 

 

君に

聞こえてるか?

 

 

 

 

バカにされて悔しかった時

 

本当は言いたいことがあったのに
言えなかった時

 

本当はしてあげたいことがあったのに
してあげられなかった時

 

ひどい言葉を言ってしまった時

 

誰かを傷つけてしまった時

 

自分がみじめで泣いてしまった夜

 

 

 

 

 

 

 

「答えは風に吹かれてる」のか?

 

 

違う。

 

 

 

 

 

君の答えは君の中にある。

 

「君の答え」は「君の中」にある。

 

 

 

「君の答え」が

君に聞こえて

君が

「君の答え」を見つけた時

 

 

 

それが

「君のロックンロール」が鳴り響く合図だ。

 

「君のロックンロール」が鳴り響けば

退屈な日々や

何かわけのわからない不安や

過去の苦しかったことは

どこかに行ってしまう。

 

 

君のロックンロールを鳴らそう。

 

僕には、その準備がある。

君のロックンロールを鳴らそう。

ノートとペンのご用意を。

お金はいらないよ。

君のメールに毎日、届けるよ。

君のロックンロールを鳴らすのに必要なことが
書いてある手紙さ。

君のロックンロールを鳴らそう。

 

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