どうも。 呉屋です。

 

こんな記事を見つけまして。

産経。

要約するとこんな感じ

・「1人あたりの県民所得」の計算方法は各都道府県によって違う。(大枠は決まってる)

・45位の高知県方式でやると沖縄は28位になる。

・沖縄県は平成21年度の「1人当たり県民所得」が高知県を抜き、戦後初めて最下位を脱出した翌年度に計算方式を変更し、22年度以降も最下位を維持している

・沖縄県は最下位を維持したい意図も見受けられなくもない。

 
まぁ、新聞には

なんらかの情報操作要素が入ってるかと思うので

「まっさらな情報」だとは思いませんが。

 

でも

「計算方法を変えた結果、最下位」なんだな。

 

「実情とあまりにかけはなれた計算方法」になってしまったから

変えたのかな?
 
 
 
 それとも
 
 
 
本当はそんなに実情とは

変わらないのに

「計算方法を変えた」のかな?
 
 
 
 
 
 
もしも

「おれたち貧乏なんだぜ」って

県民に言って聞かさなくていい方法があるなら

それを選べばいいんじゃないかな。

 

「最下位じゃないと困ること」があるのかな。

「なんとかしてくれよ」って国に頼むために。

「傷」を見せながら示談の交渉する感じかな。

「所得最下位だし基地もあるしお金くれよ」って。

 

 
 
 
 
 
「28位になれる計算方法」をなぜ取り入れないのかな。

その計算方法でもいいのなら、一体なぜ。

 
 
 
 
 
国からお金をもらうために 

「使える材料」を使うのはいいかもしれないけど

弊害も知っておいてほしい。

 

 

データを見せられて

「お前らは所得が低い」って言われると
 
 
 

県民は「おれたちは所得が低いんだ」って思うよ。

どうなると思う?
 
 
 

頑張ると思う?

 

 

同じテスト(計算方法)を受ければ

47クラス中28位取れる生徒たちに

違うテストをして、最下位な点数見せて

「お前らはテストの点数取れないな」って言われて

「がんばってやるぜ!!」って士気上がると思う?

 
 
 
おれなら頑張れない。

その頑張れないところに

「でも国が所得低いからお金くれるよ」ってなったら

依存すると思う。

 

そして

「所得低いからもらえるお金」 が

「所得上がったらもらえないお金」だったとしたら

超間違いなく依存する。

私ならね。

 

県民たちの力を伸ばす方向で考えた方が

建設的だと思うんですけども。

過保護か。県。

県が「国からお金たくさん貰えば

県民たちのためになる」って思ってるのかな。

 

生徒(県民)は「私たちは所得が低い」って

刷り込まれちゃうよ。

 

 

心に火をつけるのに重要なのは

「おれたちにもなんかできるんじゃねぇか」って

「キラキラした可能性」ですよ。

 

「可能性」を見せて火をつけた方がいい。

 

「依存回避」のためにもね。

 

 

「所得が上がったらもらえないお金なんか
いらねぇよ」って言えるためには

「おれたちは出来る」って「自信」が大事だよ。

 

それなのに

「計算方法を変えて最下位」になってる。

自信出ないよ。

 

もっかい前の計算方法にして

「最下位脱出した」を望みます。

私は。

「自信につなげる」ために。

 
 
そっちの方が

県民たちの力が伸びると思う。

建設的な感じだし。

 

 

「自信」て大事。

 

 

 

だから私は

生徒たちの前で話すときには

「自分にもなんかできるんじゃねぇか」って

思ってもらえるように

話をします。

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自分がやる気を出したのが
 
「自分の好きなこと」で 
 
「もしかしたら自分にも何かできるんじゃないか」って 
 
思えた時だったから。
 
 
 
その方が「やろう」って、思えたから。
 
 
 
怒られて伸びたことなんかない。
 
 
前提に「好き」が無いと
怒られたって
伸びないし。

 

 
 
今の「仕事はなるべくしないで給料欲しい」みたいな
空気では
 
「仕事を頑張ろう」なんて思えないし。
 

 

「仕事はなるべくしないで給料欲しい」みたいな空気を

なくすためには

「仕事」をする動機を「生活の安定」だけにしてはいけないと思う。

「安定」だけを「仕事の動機」で求めると「変化」を嫌うから。

「なるべく何もしないで給料もらう」に繋がりやすい。

 

 

 

ベーシックインカム(何もしないでも政府がお金をくれる制度)には賛成だな。

「夢物語の制度だ」と思うかもだけど「導入の実験」はもう
始まってるんだ。

現実の話なんだよ。

 

「何もしないでもお金くれるとかすると働かなくなる」って言われてるけど

「働くともらえなくなるお金」をあげるから「働かなくなる」んだよ。

失業手当とかね。所得の制限があるでしょ。

そりゃ「働いたらもらえなくなるお金」は、依存を生む。

 

もし逆に

「働いても働かなくてももらえるお金」があるなら

「働いても働かなくてもお金もらえる」なら

ちゃんと「好きなこと」に向き合えると思うんだよ。

 

私なら好きなことするよ。

いろいろチャレンジして価値を生み出す。

 

私ならね。

 

そして

「人の役に立つ」のは

とても気持ちいい。

 

人に認められた気がするし

「生きててもいい」と思えるし。

 

「なんにもしないでもお金をもらえる状況では
人は働かなくなる」と思ってる人は

「人の役に立つ気持ちよさ」を

伝えてあげたらいいよ。

 

「気持ちいい」ってわかったら
しちゃうでしょ。

 

とにかく

「自信は大事」で

その自信を持って進めばいい。

 

そしたら「人の役に立つこと」も出来る。

それを知れば

「価値を生み出す」につながるし。

建設的な社会になると思うんだよ。

 

話逸れてきた。

 

まとめます。

 

まとめ

・やる気を出すときは、「自分にも何かできるんじゃないか」ってのが大事。

・「自分にも何かできるんじゃないか」って思ってもらうには「できるところ」を教える。

・もし本当に、県が「国からもらうお金」を増やすために
計算方法を変えてまで県民所得を最下位にして、交渉の材料にして
それを「県民のために」とか思ってるなら、まじクソくらえ。

 

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