どうも、ザ・電撃パンクゾンビーズ 呉屋です。

 

 

 

こないだ

以前買った「こんまり」さんの本を

家の片隅で発見しまして。

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この本が

乱雑に忘れ去られたアマゾンの箱の中から発見された時の

「悲しみ」というか「さみしさ」というか

「おかしさ」というか。

 

その感情に名前をくださいオーマイゴットファーザー降臨。ヨイショ!
(フースーヤが数日前から頭の中に住んでいます)

 

 

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「そういえば買ったな」と。

 

 

まぁとにかく読んで成仏させてあげようと。

読んでおります。

 

近々大掃除予定もありますし。

年末ですし。

おすし。

焼肉。

 

 

 

 

片付けの基本は

まず「捨てること」だと。

それをしてからじゃないと

ゴチャルだけだと。

 

その捨てる作業の中で

「必要かどうか」よりも「感情」に重きをおくことで

「自分が本当に求めてるもの」がわかるんだと。

 

 

この人は「片付け」を通じて

お客さんを「自分の幸せ」に向き合わせる人なんだなと思いました。

 

 

 

 

コンサルタントもカウンセラーも

ヒーラーもそういう感じの人って

結局は「集客」とか「売り上げ」とか

「悩み解決」とか、そういうツールを通じて

 

「その人の幸せに向き合わせる」って作業があるよな。

 

 

 

でもこれが結構難しいかもね。

 

「何してる時が楽しいですか?」って聞いても

「本当の答え」は引き出せない。

 

「考えて出す答え」と「実際の答え」って違ったりするし。

 

人に答える時って見栄も入るし

人に言えない恥ずかしいことは言えない。

 

それこそ「性欲を満たしてる時」なんて
他人には言いにくいでしょ。

 

 

 

だから

その人のことをよく見て

どんな行動をしてるのか見て

どんな時に積極的になるか観察して

いろんな材料を元に

「向き合わせる」ってことをしなきゃいけない。

全部の行動を一定期間観察して

感情の動きも嘘偽りなく把握しないと導き出しにくい。

 

 

 

 

むずいっすねー。

 

 

自分の中に「客観的に見れる自分」がいれば

結構「自分の幸せ」と向き合える気がする。

 

「自分」だからどこまでいっても「主観」だけどね。

「客観的風」だね。

「イタリア風」的な。

 

でもその

「客観くん」は「善悪の区別」をあんまりつけないほうがいい。

「幸せかどうか」での判断が鈍るから。

 

 

こんまりさんの本でいったら

「必要かどうか」じゃなくて「ときめくかどうか」で

「捨てるもの」と「残すもの」を決める。

 

「もったいない」とかそんなものは「一旦置いておく」と。

「まずは自分の幸せと向き合えてめー」と。

「じゃないと始まらないぜベイビー」みたいな。

 

 

そうやって

「捨てる作業」を通じて

「自分の幸せの軸」を決めてから

整理していく。

 

 

「自分の幸せ」が理解できると

結構うまくいく。

 

 

そんな本でしたよ。

 

 

こっから買えます↓

 

 

 

ちなみに自分は

自分の幸せを知っています。

最近知りました。

 

 

 

絶対に人には言えません。

 

 

 

 

ロックンロールが鳴ってるよ。

 

 

 

「自分の幸せ」に関しては誰にも教える必要はない。

「自分がわかってるかどうか」が大切。

 

 

でも

「チラシ」や「広告」はそうはいかない。

「やってはいけないチラシの書き方がわかるロックンロール」です。

どうぞ。

 

 

名曲の予感しかしないデモもどうぞ。

荒撮り。でもいいの。

 

名曲だから見て。

 

 

 

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何も届かないけどね!届いたらラッキー!

 

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