もう、4月ですね。

新年度が始まりますよ。

春休みが終わりに近づくと

顔に生気が戻る親御さんの気持ちが
ちょっぴりわかる今日この頃。

 

 

あ、ウソ。ウソつきました。

ちょっぴりどころか
だいぶ分かります。分かり過ぎます。

保育園バンザイ。

 

 

 

エイプリルフールふー!
ふわふー!

 

 

ええ。

娘ちゃんの春休み中、アナ雪を78回は観ました。

語尾が「レリゴー」になるくらいレリゴりましたよレリゴー。。。

 

 

そんなこんなで新学期・新年度が始まりますよ。

始まりの季節。ですね。

「さて、新学期・新年度がんばるぞ!」って人も多いかもしれません。

 

学生さんの中には「皆勤賞めざすぞ!」って人もいるかも。

 

 

。。。

 

 

 

縁あってこの記事を読んでくれてる

学生さんに一つ

謝っておかなければいけないことがあります。

 

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それは

 

 

 

皆勤賞は役に立たない。

 

 

 

ってことです。

 

 

役に立たないどころか

 

 

 

害悪ですらあると、

 

 

 

 

私は思ってます。

 

 

 

皆勤賞を目指してはいけない。

 

「いきなりなに言ってんだこいつは」と思いました?

この事実に
気づくまでなら
僕もそう思っていたと思います。

 

 

では、聞きます。

 

「皆勤賞のためのスキルは、社会に出てどんな時に役に立つんですか?」

 

「学校」は
「社会でよりよく生きられるように教育をする場所」。

 

 

だけど

 

 

「会社に毎日来て偉いね」なんてほめられません。

 

超当然ですが、
超大事なのは「役に立つのか、立たないのか」です。

 

「ずっと出勤して」ようがいまいが
役に立たなかったらおしまいです。

 

 

逆に

 

「ずっと出勤してなく」ても
役に立ててれば、それでいいんですよ。

 

 

はっきり言って
社会に出たら「皆勤賞」だけでは全然意味ない。

 

 

「で、皆勤賞はいいけど、君の価値はなに?」って
右ストレートが飛んできます。

 

 

 

で「僕の価値はこれです」ってカウンターパンチがあれば
「皆勤賞」じゃなくてもいいんです。

 

 

役に立ちさえすれば、「皆勤賞」は、意味を持たなくなります。

 

無用のステータスです。

要らないです。

記事クリック後の
「この先を読む」ボタンくらい要りません。
(読むからクリックしたんだよ!!)

 

「そんなはずはない」と思いますか?

 

 

 

 

 

あるんですよ。

学校とか組織とか国とかって

「前やったから」って理由があれば
「これ必要か?」ってことも平気で続けます。

「必要な理由」よりも
「前からやってるから」って理由は超強力。

 

 

その例として

「座高」って知ってます?

 

座った時の背の高さ。

 

昭和12年から75年以上測定しておいて
「意味ない」って消えたんですよ?

学校現場からは、子供たちの健康管理と座高の関係が分かりにくく、机や椅子の配備にもあまり役立っていないとして、「測定に意味がない」との声が上がっていた。

 文科省の有識者会議も昨年12月、身長と体重のデータを活用すれば、座高は省略できると提言。このため文科省は廃止することを決め、施行規則を改正した。

 
 
ね?「意味ないこと」が75年以上続くんです。
「前からやってるから」って理由で。
 

 

現場から声上がってるから
変わったけど。

 

 

「謝らないといけない理由」は
これからが本番です。

 

「皆勤賞」に至っては「害悪」ですらある

 

すみません。推奨してると思います。

 

「皆勤賞」。

 

でも、

 

社会に出て「役に立たない」「意味ない」どころか
「害悪」ですらあるんです。

 

なぜなら

 

政府は「有給休暇の強制付与」を法律として定める動きがあるから。

 

わかりにくいですね。

 

「休め」ってことです。

 

「みんなで一斉に休みになる日」(祝日・休日)じゃなくて
「会社でみんな働いてる日に休まなきゃいけなくする」(有給休暇を強制取得させる)って言ってます。

詳しくはこちらを。(改正労働基準法で新たに義務化が見込まれる有給休暇の強制取得とは)

 

学校で言えば
「みんなが出校してる日に休まなきゃいけなくなる」ってこと。

img_1423

(みんなが出勤してるのに海なんかいっちゃたりして。)

 

 

「皆勤賞」は、完全に逆行してます。

 

「休みを取らない」が「美徳」になってるのは
完全に「皆勤賞」のせいです。

 

「皆勤賞」←えらい。ってことになってます。
表彰されたりします。

 

「がんばったね」ってことなんでしょうけども。

 

そのせいで「出席は善」てことになってる。

 

 

「皆勤賞」のなにが「害悪」かって
「出席しない」が「悪」になっちゃうんですよね。

 

その証拠が「ズル休み」って言葉。

何に対して「ズル」なの?

 

誰に迷惑がかかるの?

 

「出席しない」ことによって

迷惑こうむるのは「出席しなかった本人」じゃないの?

「授業を受け損ねる」わけだからさ。

 

 

その分、割りを食うのは、本人でしょ。

周りの人は基本的に「迷惑なんてかからない」
(チームでの行動がある場合は別だけど。)

 

それでも

「理由なく休むこと」は「悪」ってことでしょ?

 

なんで?

 

「皆勤賞」は
「理由なく休むことは悪」だっていう意識を植え付ける。

 

ここが一番、謝らなければいけない。

 

 

だから
有給休暇とれない大人たちが続出してる。

 

 

「学校ではいい子ちゃんだった人」が多い公務員。

有休完全消化してる人ほっとんどいません。

「理由なく休むのは悪」だって思ってるから。
(仕事量も理由の一つとしてあるけどね。
でもそういう潜在意識は絶対ある。)

 

みんなが休んでる「夏休み」とかは休めるんだけど

みんなが出席してる日に休むのは「悪」だって思ってしまう。

だから「みんなが休める」台風での暴風雨とか
喜んでしまうんです。

 

 

 

「皆勤賞」なんか無くした方がいい。

 

「風邪ひいてても、皆勤賞のために出席」とかさ。

美談みたいだけど

社会に出たら迷惑以外何者でもないからね。その行為。

 

人にうつったらどうするの?

無理してパンデミック引き起こす可能性考えてる?

 

 

「その日どうしても休めない」にしても
スカイプとか「その場にいなくてもできること」あるじゃないすか。

その選択肢をあんまり考えず

「出席することが正義」みたいな意味不明な価値観を
「皆勤賞」は生んでしまってるんですよ。

 

 

まったく馬鹿げてる。

 

そのせいで「なんとなく有休取りづらい問題」があるわけです。

 

馬鹿げてる。

政府が「強制的に休ませよう」って動かないと休めないなんて。

「皆勤賞」のせいだ。

 

「諸悪の根源」のような「皆勤賞」

 

さて。

言いたいこと分かりますよ。

 

「皆勤賞にはやり抜く大事さとか、簡単に休まない気概とか
育む力がある」とかでしょ?

「忙しい時に休まれると困る」とかでしょ?

 

 

「出席をがんばる【過程】に意味がある」とかでしょ?

 

 

 

はい。

「がんばる【過程】に意味がある」ってのは同意です。

 

でもだったら

絶対にして欲しいことがある。

 

学校の制度として「有休」をつけて欲しい。

 

 

学校は「教育」の場所でしょう。

 

「社会に出た時により幸せになれるように」学習する場所でしょう。

 

 

ならば。

 

より実社会に沿った制度を取り入れるべき。

 

学校に「有休」は必要です。

 

実は、こないだ
「自分の子どもに有休を与えると自分で考えて決める」って話を
聞きまして。

「すげぇな。いいなそれ」って思ったところが

今回のブログのきっかけでした。

 

 

 

有休を取り入れつつ(例えば20日行ったら休み1日的な感じ)

「がんばった過程」を見るべきだと思いました。

 

例えば「有休を使い切ったら表彰」みたいなさ。

だって、それが社会では必要なんだもの。

有休を取る能力が。

みんな働いてる時に休む能力がさ。

 

その方が、子どもたちのためになる。

 

アホみたいに「熱出してるけど仕事来るのが偉い」みたいな
風潮無くなる。

 

上の世代はもう
価値観固まっちゃってるからだめだ。

 

「遅くまで残ってるのが偉い。」
「24時間戦えますか」が受けてた世代だから。

 

せめてこれから社会に出る人には
こんなアホな風潮引き継いじゃいけない。

 

 

「休むと迷惑かかる」の呪い

 

もちろん社会はチームで仕事をする。

一人だけでやってる人なんていない。

必ず、誰かと仕事をしている。

「社会」だからね。

仕入れ先があるし、販売先がある。

 

「休んだら迷惑がかかる」なんて時もあるだろう。

 

 

 

 

 

だ  か  ら  こ  そ  !!!!

 

 

 

 

ちゃんと「有休の取り方」を
学校で覚えるべきでしょうが!!!!

 

 

 

社会に出たら
自分が休んだら他の人に負担がかかる。ってパターンがほとんど。

 

だから

ちゃんと「負担をどう分担するか」の練習をさせるべき。

 

 

例えば
「いきものがかり」でチームを組ませて
「花を咲かせること」を「ビジョン」にする。

毎日の「仕事」を与える。

でも「有休」も与える。

 

「誰かに負担をかける」ってことの
練習をさせておく。

 

「いきものがかり」が4人いたとして

 

普段の仕事は

「水をあげる」(必要人数1人)

繁忙期は

「土を耕す・種を植える」(必要人数3人)

ってパターンだったとして

「普段の仕事」の時に
有休消化できる工夫をする。

とかね。

 

 

個人的には「出席」と「休日」の間の
「待機日」って作った方がいいと思う。

1人は水やって

2人は完全休み。

もう1人は、水やる係が急に休みになった時の交代要員。

 

そうしたら、余裕持って回せる。

「私が休んだら他の人に負担かかる」って時にでも休める。

 

(全員フル稼働でしか回せない日が
頻繁にあるってところは完全に人材不足です。増やしてください。
そこは、マネジメント下手くそなだけです。むしろ反省してください。
繁忙期3名必要なら予備人員含めて4人雇っててください。)

 

 

そうやって
学校で「練習させる」方が
「教育の場」として相応しいと思います。

 

アホみたいに出席すれば
授業中寝ててももらえる皆勤賞なんか、なんの意味もないです。

 

「有休100パーセント取ったで賞(ミッションクリア込み)」の方が超必要です。

 

 

 

「授業休ませて成績下がったらどうしてくれるんだ」って人へ

 

はい、捕まえたーーー。

 

一番ぶん殴りたいセリフ捕まえたーーー。

 

 

 

 

おい。

 

生徒の「幸せの定義」お前知ってるのか???

 

その子は、何に幸せを感じて、何を目指して、そのために何をするべきか

お前知ってるのか?

 

 

なんで
「大学に行かなくちゃいけなくて
そのためには成績が優秀でなくちゃいけないから、
成績が落ちる可能性のある有休なんてけしからん」

 

ってなるの??

 

なんで

「大学にとりあえず行っとけ」ってなるの?

 

 

それはその子の
「幸せの定義」に必要な手段なの?

 

 

「とりあえず大学行った」おれは

 

「琉球大学行ってれば安心」って言われて
行ったおれは社会に出るにあたって苦しんだぞ?

 

 

「そもそも何やりたいんだっけ?」って。

 

 

 

「とりあえず大学」で行った結果。

 

社会に出るにあたって
仕事選ぶ基準が
「給料安定してて休みがあって定時に帰れる事務仕事」だけになったぞ?

 

 

 

だから

「とりあえず大学」の前に

「幸せの定義」を「自分で決める」のが先だよ。

 

 

「幸せの定義」に大学が必要なら行けばいいし。

そのために「学力をあげたい」なら

「有休使い切ったで賞」の優先順位を下げればいい。

 

「有休を使うべきかどうか」を自分の「幸せの定義」で図って
行動すべきだよ。

 

 

皆勤賞で表彰されてるうちは
「みんな違ってみんないい」なんてウソだよ。

だって「多様性」なんかないじゃないか。

 

何が「みんな違ってみんないい」だよ。

 

だったら
「出席日数ギリギリで賞」も必要だろう。

「最も効率的に教育課程をこなした」って理由で。

 

 

学校に行かないことが「悪」になっちゃう。「皆勤賞」だけだと。

 

学校に行かないことは「悪」じゃないよ。

生徒の「幸せの定義」で「学校に行かない」って「決めた」なら推奨されるべきだ。

 

 

その子の幸せの定義に近づいてるなら、それでいいじゃん。

 

 

「学校に行かなくなった子」を「学校に通えるようにする」ってさ。

その子の「幸せの定義」を知ってて「通えるようにする」の?

 

 

もしかしたらまだ本人も
「幸せの定義」なんてわからないかもしれない。

 

でも

 

「幸せの定義わからないなら、とりあえず学校」ではないと思う。

 

ウソでもなんでも

「自分で自分の幸せの定義」を決めるんだよ。

 

じゃないと

「自分の好きがわからない」とかになっちゃう。

 

 

 

「自分、これ好きですかね?」って
人に聞いちゃうような大人になっちゃうよ?

 

 

自分で「自分の好き」も決められない大人になってしまう。

 

 

それは、いいことかな?

 

 

僕は「自分の好き」くらい自分で決めたいし
自分で分かりたい。

 

「自分の幸せ」を他人に決めさせたくない。

 

 

他人に聞いたところで
わからないしね。

「自分の幸せ」は自分しか。

 

 

 

「英語の通訳の仕事したいんだけど第一志望の大学落ちて死にたい」

 

 

って、ラジオの人生相談のコーナーで話してました。

苦しそうな声で。女の子が。

 

 

「成績良いことが善」って価値観の弊害。

「とりあえず大学」って価値観の弊害。

 

この子がしたいことは「英語の通訳の仕事」なはずです。

「大学」なんか「手段の一つ」です。

 

「大学に入ること」は「英語の通訳」に「必ず要る」ではない。

 

大事なのは「通訳ができるかどうか」なのに。

 

「日本人は大学行かなきゃ英語話しちゃいけない」
なんて法律ありませんよ。

 

 

「大学は絶対」みたいな価値観の弊害。

 

 

いらんて。

 

 

 

「自分の幸せを定義し続ける」方が大事だって。

 

 

じゃないとおかしなことになるよ。

 

 

 

 

 

「皆勤賞」もさ。

 

 

いらん。

 

実情に即してない。

 

なんのための「成績」?

 

 

「幸せの定義」が先だよ。

 

 

 

てなわけで

 

新年度。新学期。

 

皆勤賞は狙わなくていい。

 

「有休制度」オススメですよ。
公共の教育機関の皆様。

 

でもまぁ「公共の教育機関」は
意味のない座高を測り続けた実績があるから期待できない。

これは「誰かが悪い」ってわけじゃない。

「公共の組織」の性質だから

しょうがないことなんだ。

 

 

自主的にやろうっと。

 

自主的にやった方がいいよ。
練習しといた方がいい。休み方。

 

 

これ読んでくれてる学生さん
「皆勤賞」は狙わなくていいと思うよ。

 

 

 

もちろん

 

「君の幸せ」に「必要」なら
「皆勤賞」を狙うべきだよ。

 

 

 

 

 

 

ロックンロールが鳴ってるよ。

 

 

 

今日のオススメ本

マネジメントヘタッピーズは参考にしてください。
残業は禁止した方が効率あがります。マジで。
皆勤賞の呪いの解き方。年休140日ですって。

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