地方のイベントで疲弊していく。 
って記事を見ました。
 
 
 

 

 

まとめるとこんな感じ。
 
・ヒト・モノ・カネが不足しているのに「地域活性化」を
  目的に「新たな事業」だけ増えていきがち
 
・「やる人」は増えないのに「新しい事業」だけ増えて行く
 
・現場は疲弊していく
・「やること」を決める前に「やらないこと」を決めよう。
 
 
こんな感じの記事でした。
 
 
私も商工会時代に
「地方のイベント」にたくさん関わってきました。
 
 
 
 
「やらないことを決める」って動きはあった。
 
「現場の疲弊」はすでに結構問題視されてて
 
 
 
例えば
 商工会なら
 
 
「地域振興」を「やらなければならない状況」のせいで
商工会の存在意義である「経営改善」事業に支障が出たり。
 
 
 
予算が組まれてるので
やらないわけにはいかないんですよね。
 
 
 
「事業見直し」の動きはありました。
 
「事業を見直す」主旨の委員会が発足しました。
 
 
「どの事業をやめるか」の話し合いもありました。
 
 
 
 
「どの事業をやめるか」を具体的にやろうとするときの弊害。
 
 
 
基本的に、「見直す委員」は地元の方が多くいます。
 
「本当に必要かどうか」を見極めなければならないので
当然「地元の方」の比重が大きくなります。
 
で、一度は「やろう」となったイベントなわけですから
「全くもって必要ないイベント」は実はないんですよね。
 
 
 
「何かしらの必要性」はあります。
 
 
そのイベントで「全体的に見れば疲弊」してても
そのイベントで「儲けてる事業者」もいたり。
 
 
「やめる」となった場合
「反対の立場の人」は必ずいます。
 
 
そして、こういった「やめるかどうかを決める権限」を持ってるのは
「地元の代表」みたいな方です。
 
 
 
商工会長や町長や市長。
「なんらかの長」です。
 
 
 
長は
 「いろいろなことを調整する力」に
長けていることが多いです。
敵を作らない能力。
 
 
「調整力」というか。
 
だから
票が集まって長になってたり。
 
 
 
 
そんな長は
「敵を作ること」を敬遠します。
必要以上に。
 
 
 
そんな人が
「執行すると敵を作ることが
 確実な、イベントやめる権限」を持っています。
 
 
執行しにくいんですよね。
 
 
 
「緊急のやめるべき理由」がないから
「まぁ、残そうか」となる。
 
img_1316-1
 
 
 
 
そしていろんなイベントが今年も開催されるんです。 
 
 
 
「決定権を持つ人」と「現場で動く人」は別。
 
そして
 
 
見落とされがちですけど
「決定権を持つ人」と
「現場で動く人」は別なんですよね。
 
 
村長が「やる」と決めても
実際に動くのは「役場職員」。
 
 
実際にはキャパオーバーでも 
現場の職員が
「キャパオーバーです」って言いにくいんです。
 
 
「残業すればできる」っていう思考回路になってます。
現場職員は。

 
 
 
役所とかは長に給料出てますけど
 
イベントとかを請け負いやすい 
商工会とかの長って、
 
 
 
役職だけで給料とか無いんですよね。
好意でやってもらってる場合が多くて。
 
 
 
 

 
 
職員は「せっかく好意でやってもらってる会長に迷惑は絶対にかけられない!」ってなりがちです。
 
 
 
自身の無理は顧みず。
 
 
 
 

 
労基法なんて
 無視無視ゴーゴーです。
 
真面目な人が多くて
「自分が頑張ればできる」と思っちゃうんですよ。
 
 
地域の長も
 
「自身の敵」を作るより
「身内」に
 「 地元のヒトのために頑張ってくれ」と
 現場を励ます方を選びやすい。
 
 
 
正直、地域イベントを主催するのは
自治体とかです。
 
 
「経営者と従業員」って関係なら
「儲かる見込みのないこと」なんて
続けるわけありませんが
 
「自治体」なので自腹を切るイメージではありません。
(疲弊が回り回って自腹になるんだけど
イメージとして直結しない)
 
 
それも相まって
「やめない」んですよね。
 
 
個人的には本当に地域活性化を望むなら
身内を励まして
何か新しく興すより
 
 
 
「頑張りすぎてる職員」を見抜いて
地元の誰かに恨まれてでも
 「やめる」を選択するのが本当のリーダーだと思う。
 
 
 
「調和」なんか
 それぞれの主張(嫌われるかもしれない主張)を
はっきり言い合ってからしか
生まれない。
 
 
 
「馴れ合い」と「調和」は違う。
 
 
 
「その場しのぎの馴れ合い」を続けてると
痛み止めだけ打ってるのと同じで
 怪我は治らない。
 
 
いずれ死にますよ。
 
 
 
とはいえ具体的にどうするか?
 
 
長が
 「嫌われてもいいからバッサバッサ斬る」のが
 理想です。
 
 
 が
 
 多くの場合そういうひとは長になれてない。
 
 
 
具体的には
「 やめるっていう決定権」を持つ人を
「第三者」(地域の「調整」と関係ないひと)にするべき。
 
 
ただし
 
その土地から全く知られてない
「 知らない第三者」は
「よそもの」と認識されます。
 
 で
 
 
「よそもの」が大ナタをふるうと
「感情論」で 「必要以上の敵」が出てきてしまいます。
 
 
「イベントをやめるのにやむを得ない反発」
 だけでない
 
「よそものが勝手に何してんだ」って
「必要以上の反発」も出る。
 
 
 
 
 
東国原知事がそうだったと語っていました。
 
 
宮崎県知事になった時に
「新しい方向」からの就任だったので
 
 
就任後、改革に乗り出す時
「身内からの反発」が結構あったと。
 
 
 
でも
 
地元のひとは「地元の既成勢力」には
めっぽう弱いです。
 昔からの名家とかには 。
 
 
だから
 
 「ある程度、地盤を受け継ぎ、大ナタをふるう気質があるひとを
 とりやめる権限を持つ人」にするべき。
 
 
 
例えば、「地元に帰ってきた後継者」とか。
 
「地元から離れていたので
調整に関わってない。」し
 
「地元出身で後継者」なので
 
必要以上の反発を生まない。
 
 
住民も「あっちの後継者が言うならしょうがない」と
どこか「あきらめ」もつきますし。
 
 
そうすれば
 「しょうがない」とどこかで
 自分に言い訳できる。
 
 
 
 
そんな後継者がいれば
  
 
「イベント?お店の基礎体力作る方が先でしょ」
 
「賞品提供願い?みんな儲かってるの?お店を疲弊させるだけ。やめさせろ」
 
「続ける?あんた、舞台のタイムテーブルから出演交渉から
駐車場係の手配、ボランティアの協力依頼賞品の提供依頼
全部自分でやるの?やるならいいよ」
 
 
とかね。
 
 
 
バッサバッサ斬ってくれるといいと思う。
 
 
 
そして
そこから地域が回復すれば
信頼もできるし。
 
 
回復しなかったら
住みにくくなるかもしれませんが。
 
 
むずいとこです。 
 
 
「大ナタ振るうためだけに地元に帰るつもり」な後継者ってのも
なんだかなぁ。だし。
 
 
 
もしくは
 
「地域イベントを続けたいという人」が
時間の流れの中で
発言できなくなっていくのを待つ。
 
 
 
 
まとめとしては
 
「地域イベント」をやめるには
 
・現在の長が嫌われるの覚悟でバッサバッサ斬る。
 
・地盤を引き継ぐ後継者がバッサバッサ斬る。
 
・時間がすぎて反対勢力の体力が尽きるのを待つ持久戦。
 
 
あとは現場職員のクーデター(もしくは過労による機能不全)待ち。
 
 
 
いずれにしろ打破しにくい状況なのは間違いない。
 
根深い問題す。
 
 

 
 
 
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