「とりあえず大学行っとけば」という言葉が嫌いです。

 

 

でも実は

「とりあえず大学行っとけば」にも2種類あって

「やりたいことがわからないから
やりたいことを見つけにとりあえず大学に行く」という

攻めの「とりあえず」と

 

 

「やりたいことがわからないから
とりあえず大学行っておこう」っていう

逃げの「とりあえず」があって。

 

 

自分が嫌いなのは後者です。
逃げの「とりあえず」。

 

 

「逃げのとりあえず」だと何も決まらない。

 

「逃げのとりあえず」は
ただの「後回し」なんですよ。

 

 

何も解決しないし
どうせやらなきゃなんない。

 

 

どうせ「やりたいことを見つける方法」を
考えて実行しなきゃいけない。

 

 

「やりたいこと見つけに大学に行こう」っていう「攻めのとりあえず」と
「やりたいこと無いから大学に行こう」っていう「逃げのとりあえず」の
違いは

 

「攻めのとりあえず」は「目的を持って行く」んです。大学に。

「逃げのとりあえず」は「目的が無い」んですよ。

 

「逃げのとりあえず」は

「大学に合格する」がゴールになりやすい。

「逃げ」だから、大学に合格した後の熱量なんてないんですよ。

「大学に合格」までしか目的が決まって無いから。

 

だから「逃げ」で「とりあえず大学」だと
結局、ゴールした後には熱量ないから燃え尽き症候群ですよ。

合格前と、変わらない。

結局、また次の逃げのための目的を探す。

 

 

 

 

私は「逃げのとりあえず」でしたね。

 

 

 

でも
「攻めのとりあえず」は
「大学合格」が「ゴール」じゃ無いんです。

「やりたいこと見つけるため」ですから。

「大学合格」はスタート。

 

「やりたいことみつけるため」ってゴールは明確にある。
そのための行動をどうしたらいいか考えることができる。

ゴールに向かって進むんですよ。

「攻めのとりあえず」って。

 

サークル入ったり
バイトしたり

結果的に行動量が違ってくるし

それこそ
「選択肢」の幅も
選ぶ基準の精度も高くなる。

 

 

 

「攻めのとりあえず」と「逃げのとりあえず」の違い

 

 

「攻めのとりあえず」と「逃げのとりあえず」の違いって

「自分の幸せの基準」について
本気で一回でも考えたかどうか。

だと思います。

 

「攻めのとりあえず」は考えてます。

「今はわからないから
大学に行ってみつけよう」って目的を設定します。

 

「逃げのとりあえず」は考えてません。
「やりたいことないから
大学に行こう」って感じ。

目的設定がないんですよ。

 

 

 

自分は商工会にいるときに
「これでいいのかなぁ」と思ってから
「自分の幸せの基準」を考えました。

 

社会的に「一人前」(ある意味のゴール。これ以降は自己責任。的な。)
とされる「就職」(ゴール)をしたあとに。

 

 

で、社会って「就職」(ゴール)までは
ある程度の選択肢が事前に準備されています。

常識として。

 

 

中学→高校→専門学校・大学→就職(ゴール)

って感じ。

 

 

選択肢が「事前に準備」されてると

ついつい「逃げのとりあえず」で選びがちなんですよ。

 

高校で「どうしようかな」と不安になったら
「とりあえず大学か専門学校」的な。

 

大学で「どうしようかな」と思ったとき
「とりあえずどこでもいいから就職」を選びがち。

 

 

 

「とりあえず旅に出てみる」って選択肢があってもいいはずなのに。

 

 

 

私が言いたいのは

「用意されたレールに乗るな」ってことではなく。

レールに乗ってもいいけど
「自分で考えて決める」って過程を挟んだか?ってこと。

 

 

 

大事なのはそこ。

 

「自分の幸せの基準」について
考えたことある?ってことです。

 

そこ考えさせないで
(もしくは考えることに十分付き合いもせず
)選ばなければならない的な考えが嫌いです。

 

それだと「逃げのとりあえず」になる。

 

 

 

大学まで「逃げ」ですすんだ私は
「根本は何も解決してなかった」と思います。今。やはり。

 

 

 

だから
過去の自分みたいなやつに

「自分の幸せってなんだろう」って考えることをして欲しいし

「周りの環境」はそいつが「自分の幸せについて考える」邪魔をしないで欲しい。

(「価値観の固定化」は、「自分の幸せについて考える」のに邪魔。
だって「◯◯さえしてればいい」って用意してしまうのと同じだから。
メニュー表に1品しかなかったら「考えないで選ぶ」でしょ?

で、食べてる時に、あれ?これ食べたいのかな?って自我が出てくる。
まぁ、その時に「選び直す」って選択肢を自分で選べればいいけど
「選び直すのはダメ」って苦しんでる人多い気がする。

最初で色々な選択肢(価値観の多様性)あれば、
「自分はどれが好きだろう?」って考えて
「自分の幸せの基準」について「考える。」

だから「皆勤賞だけ」って状況も嫌いだし
「学校に行かないといけない」って考えも嫌い。

価値観の軸がたくさんあって欲しい。

全部行ってもいいし休みがちでもいい。

ってなれば
どっちがいいかは「自分で考えて決める」をしやすい。)

 

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「本当は、どれが好き?」

選ぶかどうかは置いといて
自分で自覚するのは大事だな。と。

思うわけですよ。

 

 

「自分の幸せの基準」を考えるのに

「マーケティング的考え」は超重要な役割を果たすし

知っておいたほうがいい。

 

 

・自分の性質を知る。(自分の幸せの基準を考えるを含む。)

・自分の性質が高く評価される可能性の高い場所を選ぶ。

・自分の性質が弱点になる可能性の高い場所は避ける。

・自分の性質に価値をつけて、価値と価値を交換する。

 

そうやって循環させてくんですよ。

 

だから

「学生にマーケティングは必要」なんです。

 

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